2011年スタートの1月

2011年が明けて、あっという間に1月が終わりました。
結構、大変な一月でした。

1月3日に裕紀子の母が亡くなりました。88歳でした。
亡くなる3カ月くらい前から、お見舞いに行っても反応がなく、
呼吸も苦しそうでした。
我々は、長生きをしてほしいという反面、早く楽にしてあげたいという気持ち
が強くなっていました。
親族がベッドを囲んだ時も、”よく頑張ったね”と皆が声をかけました。

その中で、ただ一人号泣した人がいました。裕紀子の父です。
”ついに、この日が来たか。直ぐ行くからね。”
愛妻家でした。本当に、寂しそうでした。
もらい泣きしました。

義父は94歳で足腰は弱っていましたが、大きな病気をしたことはありません。
100歳までは必ず大丈夫と誰もが思っていました。
1月29日その義父が亡くなりました。信じられませんでした。
亡くなる前の日に、裕紀子の手を握り
”ありがとう。いい人生だった。さようなら。”
と言ったそうです。
安らかな顔をしていました。涙が自然に流れてきました。
すばらしい人でした。
涙で始まり、涙で終わったつらい一月でした。

もうひとつ、つらい出来事がありました。
1月21日左下に残っていた最後の奥歯を抜かれてしまったことです。
今、奥から3本歯がありません。
歯がなくなるたびに、ジジイの烙印を押された気持になります。
インプラントか、部分入れ歯・・・。寂しい限りです。

ブルース・リーが”燃えよドラゴン”で映画に登場したのは、私が19歳の時です。
ブルース・リーにあこがれて、体を鍛え、逆三角形の肉体美を誇っていました。
腹筋にパンチを食らっても、なんのその。
ハガネのような肉体でした。それが今では、歯ガネェ。
なーんちゃって。シャレにもならネェ。

もうひとつ、不愉快な出来事がありました。
私は、明電舎関連会社の㈱エネルギー技研に勤めています。
明電舎沼津事業所のインフラの維持管理を行っている会社です。
この3月で会社が整理されることになりました。
理由は、BCP(事業継続計画)や建屋の維持管理を含めて、
明電舎本体組織とするべきだからだそうです。
会社を整理するという最後の処理をしなければなりません。
私の処遇は、現時点では明確ではありませんが、良くなる可能性はゼロです。

ソフトテニス日記に相応しくない内容になってしまいました。
2011年は、厳しいスタートとなりましたが、そんなに落ち込んではいません。
真正面から立ち向かうのみです。
テニスに仕事に頑張るぞっと!





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